草津市から栗東市へ。
背の高い建物も見えなくなり、街道の面影を残す味わい深い道に入っていく
宿場そばのお店から東へ2キロほど歩くと目川立場趾に着く。
「立場」とは・・・宿場と宿場の間にあった、休憩をしたり食事を取ったりできる場所。
この目川という土地は田楽豆腐発祥の地である。目川立場では菜飯・田楽・菊の水(地酒)のセットが旅人の間で大ヒットした。

目川にはいまも当時の料理を再現して食べさせてくれる処がある。

このほっこり庵の隣にあるのが、伝・移築膳所城大手門である。

関ヶ原の合戦の翌年、家康は膳所城を築いた。
その後、膳所藩主の本多家が城主となった。
瓦に徳川家の家紋、三ツ葉葵と、本多家の立葵の紋がついているそうだが、目を凝らして見ても立葵しかわからなかった。

この門の横に松尾芭蕉の句碑がある。

さきほどの地元の銘酒「菊の水」を詠んだ句だ。
そういえば芭蕉はこの先の甲賀の出身だったね。(ゆえに隠密説もあり)
目川をあとにして手原に向かう。
「手原」という地名は手を腹に当てると子を授かったという伝承があり、それが後に「手を産んだ」という物語へ変化したとも言われている。手を孕む=手孕(手原)となった。
この地名の由来を題材にしたのが「源平布引滝」。
歌舞伎や浄瑠璃で演じられ人気を博した。
舞台は平家全盛の時代。源義朝の弟、木曾義賢は平氏方に追い詰められ身重の妻と源氏の白旗を味方の百姓に託す。
史実では源氏同士の争いたったようだが、物語では平家の追っ手から逃れるドラマチックな設定となっている。
白旗は、これから生まれる子が源氏の正統な後継者であることを示す象徴として描かれている。
平家の追っ手が来る中で、百姓の娘が白旗を持って逃げる。白旗を奪おうとする平家に対し、奪われてはならぬと源氏方の兵士が娘の腕ごと切り落とす。腕は琵琶湖に沈んだ。
一方、義賢の妻に源氏の後継を産ませてはならぬ、と百姓の家にも平家の手が伸びる。
出産が危うくなるその時、百姓の妻が平家の追っ手の前に来て「ただいま生まれたのはこちらです」とおくるみを差し出す。そこには赤子ではなく女の片腕が包まれていた。
この片腕こそ湖から引き上げられた、この百姓の娘の腕であった。
やや不気味な話だが、手孕の伝承をうまく生かしたストーリーだ。
味方の犠牲によって守られた赤子こそ、後の木曾義仲である。

手に持っているのは源氏の白旗⁉︎
手原駅でトイレ休憩。東海道中はトイレは行ける時に行っておいたほうがいい。
手原の話で長くなってしまったので、
今回はここまでにする。
次回は、後に甲賀忍者として知られる甲賀武士たちが活躍した「鈎の陣」の跡を歩く。


