東海道を歩く|草津宿〜石部宿③ 〜何も起きない東海道〜

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東海道の旅を続ける。

手原駅へ向かう手前に池があった。その池のほとりに石碑が建っている。

室町幕府第9代将軍、足利義尚がかつてここに仮御所を開いたことを記す碑だ。

地名から「鈎の陣」と呼ばれる。

たった一年半ほどであったが、ここ栗東市が政治の中心になった時があったのだ。知らなかったなぁ。

御所なのになぜ「陣」とつくのか。

それは将軍義尚が六角氏を討つために遠征し、ここで政治が行われたからだ。

全国の大名や使者がこの地を訪れた。

足利義尚の父、第8代将軍足利義政は銀閣寺を建てた人。文化人だが、政治家としては厳しい評価を受けることが多い。

その妻(義尚の母)が日野富子である。後世には「悪女」と評されることもあるが、実際には応仁の乱後の幕府財政を支えた有能な人物だったとも言われている。

義尚は幼くして将軍職を継いだが、実権は父が握ったまま、また母親の過干渉と、親子仲は良くなかった。

この遠征には、父義政から政治的に自立し、自らの権威を示したいという思いもあったと考えられている。

結果として六角氏を討ち果たすことはできず、義尚は25歳で没する。悲劇の将軍。

一方、この戦いで六角氏に加勢し名を上げたのが甲賀衆である。後世、「甲賀忍者」として知られる。

さて東海道をさらに進む。道の雰囲気がいい。草津から栗東にかけて、普通の民家に看板が掲げられているのが目立つ。

看板には昔は「豆屋の何某が住んでいた」とか「魚屋の何某の家」、など書かれている。

ここは「相撲取り」のお家だった

ほんまか?と疑ってはいけないが、かなりのお家がこのプロジェクトに参加?していて我々のような東海道ウォーカーを楽しませてくれる。これには本当に恐れ入った。

六地蔵一里塚。ここもベンチなどは無いものの、植木があり整備されたスペースがある。ここでまた小休止をいれる。

休憩後、歩いて程なく旧和中散本舗 「ぜさいや」という、かつて薬屋だった大きなお屋敷(店舗?)が見えてくる。

ここで煎じた薬が徳川家康の腹痛を治したとかで、家康が薬を和中散と命名した。

今も当時の薬を煎じたり、調合する機械を見学することができる。

この時点で14:45。先を急ぐ。

幸いこの日は風があり、歩きやすい気候だった。高い建物は無く、家々の間から遠くに三上山(近江富士)が見える。きれいな三角形で昔から信仰を集めていたのもわかる。

途中、徳生寺というお寺で最後の休憩。神仏習合の名残か、お寺の奥に神社があった。

人影も少なく静かな佇まいであった。

お寺の奥の神社。背の高い杉の木が。

名神高速道路の高架を通過し、何もない道をひたすら歩く。

ついに石部宿の案内を見つける。西縄手跡と看板があり、小さな公園に整備されている。

この西縄手は江戸時代は宿内に入る前に大名行列が身なりを整えたり、整列するためのスペースであった。

公園に東海道五十三次のすべての宿を記したモニュメントが建っていた。うーむ江戸までの道のりは長いな…楽しみながら行こう。

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